Tommyball

コンセプトは「スポーツ×○○」。スポーツに関連するいろいろなものを書いていきます。

今なおトロントで色褪せないハラデイの偉業

「画像ハラデイ」でおなじみの、大投手ロイ・ハラデイが野球殿堂入りを果たした。

 

殿堂入り投票資格最終年でようやく殿堂入りを勝ち取ったエドガー・マルティネス。

オリオールズとヤンキース両方で大活躍したマイク・ムシーナ。

そしてヤンキースの誇る最強クローザー、マリアノ・リベラ。

ハラデイと合わせて、4人が殿堂入りとなった。

 

ハラデイは殿堂入り投票資格初年での殿堂入り。425票のうち363票、85.4%の票を得たようだ。

マイク・ムシーナは76.7%、エドガー・マルティネスは同じく85.4%、そしてなんとリベラは満票での殿堂入り。

 

しかも、ブルージェイズの選手として殿堂入りするようで、それはロベルト・アロマーに次いでチーム2人目だ。

 

アロマーは別にブルージェイズで育った選手…というわけではないので、ブルージェイズでドラフト指名を受け、育った選手としては初の殿堂入りだ。

 

2008年に留学きっかけでブルージェイズを見るようになったが、その時のエースがハラデイ。ちょうど、AJ・バーネットが大活躍 (し、そのオフに契約をオプトアウト。ヤンキースに移籍) した年。

シンカー・カットボールを中心に、効率よく打たせて取るハラデイと、縦に落ちるカーブで華麗に空振りを奪うバーネットと。ダブルエースと言っても良いくらいの、2人の活躍は見ていて惚れ惚れした。

 

そんなブルージェイズは、2008年の時点で、プレーオフからは15年遠ざかっていた。

1992年・1993年のワールドシリーズ連覇の歓喜を知らない選手、ファンが多くなる中で、そして、チームの顔になりかけた選手がことごとく一時の輝きを失う中で、ハラデイだけは毎年のように投げまくり、毎年のようにチームを支えていた。

 

5日に1回の、ハラデイ登板日は、ワクワクしたものだ。

「菅野が投げるから試合を見に行こう」というのがあるように、「ハラデイが投げるから…」というのでファンを呼べる、数少ない選手だったと思う。

 

しかし、翌2009年を最後にフィリーズに移籍。

2010年に契約が切れ、FAで移籍濃厚となっていたゆえのトレードだった。

フィリーズでは結局、移籍と同時に契約延長をした記憶がある。

結果を出し続けたベテランは、最後にワールドシリーズを勝ちたいと願い強いチームに移籍するし、それよりは、若手選手を多めにとって将来につながる方か、チーム編成としては得策だ。

 

2010年には完全試合を達成するなど、大エースらしい投球で、フィリーズのポストシーズン進出に貢献。

そのポストシーズン最初の登板でもノーヒットノーランを達成した。

 

結局2011年を最後に、2012年・2013年は成績が落ちて引退。

 

フィリーズでの2年間は強烈だったが、それでもブルージェイズ史上1, 2を争う大エースだったのは間違いない。

 

2003年にはサイ・ヤング賞を受賞。チーム記録の22勝をマークした。

結局それがブルージェイズでは唯一のサイ・ヤング賞だったが、フィリーズでも一度獲得。

 

先発・リリーフの分業と、先発の球数制限が主流になったリーグで、通算でも203勝105敗、そしてなんと67完投20完封。リーグ最多完投7回、最多完封4回と、分業制の中でイニングを食いまくったのは、まさに大エースだった証拠だろう。

また、防御率3.38は、打高になりつつあったリーグを考えれば、大変に優れた数字だ。さらに、2008年から2011年の4年間は2.78→2.79→2.44→2.35と、現役終盤、30代にして凄みを増したのには、今でも恐れ入る。

ブルージェイズでの12年間で築き上げた48.6bWARは、今でもチーム歴代2位だ。(あと2年チームにいれば1位になっていたに違いないが…)

 

有資格1年目での殿堂入りをするには、十分な功績だろう。

 

そんなハラデイは、殿堂入りのチャンスまであと1年ちょっとの2017年、自家用機で飛行中に事故で逝去。

仕事も身に入らなくなるくらい、ショックでしょうがなかった。

本人がその殿堂入りの場にいれないのだけが、残念だ。

そして、これでブルージェイズの32番は永久欠番になるのだろうか。

ブルージェイズでの貢献度は、それだけの価値があるのではないかと思う。

 

今なお使われる「画像ハラデイ」というフレーズで、こんな大投手がいたんだ、ということを思い出してくれる人が1人でもいたらいいなと、一ブルージェイズファンとして思ったりする。