Tommyball

コンセプトは「スポーツ×○○」。スポーツに関連するいろいろなものを書いていきます。

さらば上原

 

巨人のエース・上原浩治が引退。また1つの時代が終わる。

 

野球を見るようになったとき、巨人のエースは紛れもなく上原だった。

その当時、野手の顔といえば高橋由伸だっただろうか。

奇しくも生年月日が同じふたりは、チームの顔として巨人の投打を支え続けた。

野手の顔・由伸は、怪我と戦いながらも巨人で現役を全うし、理不尽な引退・監督就任を経て、采配に批判を浴びることもあれど、巨人の監督として3年間戦い抜き、若いチームを育て上げた一方で、投手の顔・上原は、メジャー挑戦を経て、リリーフ転向、歓喜の世界一を経験し、最後の最後で巨人に凱旋。44歳、最後の最後まで現役にこだわった。そんなところだろうか。

 

全然「この選手はどんな選手」とか、特徴などの知識もなかった当時でも、体をセンター方向に少しひねるフォームから、上原がポンポンとストライクを投げ込み、フォークでバッタバッタと三振を奪って行く姿は、爽快であったし、「上原だから今日は勝てる」くらいの安心感があった。

振り返れば、あの時期のジャイアンツ投手陣は、「この投手を見るために野球を見たい」と思わせる選手が少なかったような…気もするが、だからこそなのか、上原浩治という大エースの存在感は際立っていた。

上原モデルのグローブに一目ぼれし、両親に懇願してなんとかそれを買ってもらった少年時代が、今でも鮮明によみがえる。

守護神になろうが、翌年先発復帰で苦しもうが、巨人のエースは上原浩治で揺るがない。それくらいの存在だった。

 

それでも、本人には (入団以前から) メジャーリーグ願望があったし、ライバルともいえる西武・松坂大輔がメジャーに渡った時点で、FAで海を越えるのは確実なシナリオになった。

メジャーにいった時点で、レッドソックスで世界一になった時点で、正直「巨人・上原」は、過ぎた話だと思っていた。

 

願わくは、このSandstormにのって、もう一度巨人のユニフォームで…


レッドソックス上原浩二 入場シーンがかっこよすぎる件

 

それがかなうなんて思いもしなかった。
2018年、GW唯一の東京ドームで上原が見れたことは、一生の思い出になるのだろう。

去年は巨人戦だけで20試合と、比較的多く観戦に行けたこともあったが、これ以外にも、比較的上原の登板試合も多く見れたなあ。
それでも、年齢や、キャンプ不参加でチームに合流したこと、そして、相対的に遅くなる球速で苦しむことになるのだが…

 

願わくはもう1試合、いや、もう1球…東京ドームで、Sandstormにのって出てきて…
欲を言えば、堀内さんも言われているように「上原-阿部のバッテリー」をもう一度見たい、そんな気持ちもあったが… 

 

 

 

…少し上の世代は、斎藤雅樹や桑田真澄で育った世代、少し下なら菅野智之が「巨人のエース」として育った世代だろう。

でも、僕らの世代にとって、巨人のエースといえば上原の姿がパッと浮かぶ人は今も多いはずだ。

それくらい、初めて見るエースの姿は強烈に残り続ける。

巨人には上原がいて、中日には川上憲伸が、阪神には井川慶がいる。広島には黒田博樹がいて、横浜には番長・三浦大輔がいて、ヤクルトには今なお元気なカツオ…もとい石川がいる。
セ・リーグのエース6人のうち4人はメジャーに渡り、2人はチームのレジェンドになることを選んだ。振り返ると、すごい時代だった

そんな時代の中でも、巨人のエースとして輝き続けた、背番号19の功績は、僕の中で、「巨人のエース」像として、一生残り続けるのだろう。

 

「ありがとう」とか「お疲れさまでした」が安く聞こえてしまうくらい、 当時の巨人の選手たちは、自分にとっては大きな存在だ。 

海を渡った大エースが、最後に巨人に戻って引退するという選択肢をとったことだけでも、ファンとしては喜ぶべきことなんだろう。

うまくいえないけど、ジャイアンツ復帰と聞いて、真っ先に11番のホームのユニフォームを買いに行った、あの日の自分は、そして、京セラドームで上原が勝ち越し打を打たれて負けた試合の後、ショップで「100勝100ホールド100セーブ」の記念Tシャツを衝動買いしたあの日の僕も、たぶん間違っていなかったんだろう。